いつもいろいろなことを教えてくださる福島さんからこちらのブログの記事を紹介してもらいました。
目次
スイッチあるある
「お母さん」というメッセージを入れたVOCAを子どもに与えたが、子どもが何回も押すので、うるさくなってスイッチを取り上げてしまうという事例を紹介しています。
そこにあるのは、子ども自身の視点ではなく、大人から見て
「支援者の思い通りの意思表示をする」
ということを中心に活動を作っていることの問題を指摘しています。
これを読みながら思いだしたのは、その昔のある同僚の行動。
担当するAさんはとても上手にトーキングエイドを操り、お話をします。
ただし、いろいろと場面にそぐわない事も話してしまうので、彼の担任は「うるさいから」とトーキングエイドを使えないように車いすの後ろに回してしまうシーンがありました。
そうすれば、もちろんその場は静かになります。
でもこれって人権侵害じゃないでしょうか。
当時の私は、それを指摘することもできなかったのですから同罪です。
自分にとっての黒歴史です。
これらにある
自由に意思を伝える
ということはとても難しい。
さて、そういった意思を表出するということでいうと、私にとって学びの原点は中邑賢龍さんのAAC入門です。
AAC入門

この本に書かれている内容で、よく憶えているのはプールに行くエピソードシーン。
学校の行事としてプールに行く際にどこに行くかの見通しを持たせる場面設定とともに、どこに移動するかと伝えたり、車いすからおりる際に,ベルトのバックルを触って「車いすから降りる」事を伝えるなど、節目節目に本人の意思を確認していくことの重要性を示唆しています。
さて、振り返って私たちの学校での子どもたちへのアプローチでそのようなていねいな関わり方をしているでしょうか?
時間割で決まっているから
年間行事予定で決まっているから
保護者にこの子はプールが好きだからぜひ入れてくださいと言われているから
教員の手数が足らないので、,一人一人に付き合っていく余裕が無いから
そんなさまざまな理由から、プールに入ることは当然で
「すき」「きらい」
で、入る事をやめてはいけない。
ということがあるような気がします。
しかし、子どもの教育において、その意思決定を示す活動は、その後に通じるとても重要な教育活動になるのではないか、日常的にそういった事が行われていないとすれば、ただ単に教員からのコントロールを受け入れるだけの子どもが生まれるのでないかと考えます。
さて、では自己選択、自己決定をする際にどのような聞き方をすれば良いのでしょうか?
その一つのヒントが先の中邑賢龍さんの動画にあります。
以前ご紹介したこちらの動画です。
ATACLABOのyoutube動画より「支援者として必要なコミュニケーションの基礎知識」

ここでは、カウンセリングの技法を紹介しながら相手からどのように自分の意思を引き出すかという基本的な考え方を紹介しています。
私たちはとかく支援機器を使えば良いというような間違えた考えに陥る危険性があります。しかし、そこまでに至るまでには本人をどう理解するか、そして関係性をどのように構築するかということなしにはコミュニケーションは成立しない。
そんな事を教えてもらえる貴重な動画です。
ただ、やはりAAC入門は読んでほしい。
動画もとても大切ですが、じっくり考えるためには本はとても有効な情報源だと思っています。
最後になりますが、以前話題にした「選択」シリーズ。これも参考にしてもらえると有難いです。
12月29日は畠山さんの三回忌、改めて考える「選択する」ということの意味

重度肢体不自由のある子どもの選択を考える「実はいろんな場面で選択をしている」

重度肢体不自由のある子どもの選択を考える「複数のものから選んでいても」

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