中邑賢龍「人間は生まれながらにして平等ではない。しかしながらテクノロジーが人を平等にする」(リクルートライフスタイルの記事より)

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リクルートライフスタイルに載っていた記事ですが、facebookでいろいろな人がシェアしてました。

http://www.recruit-lifestyle.co.jp/lifeshift/ls18232_20160701

先端研の中邑さんのインタビュー記事です。
中邑さんに最初にお会いしたのは茨城大学の特殊教育学会だと思うので、いまから25年前の事だったと思います。
それ以来沢山のことを教えていただきましたし、お会いするたびに新しい視点をいただくのですが、今回のインタビューの記事はそういった中邑さんからお聞きしている事を上手にまとめていただいているので、より分かりやすい記事です。
さて、この記事の中で

「テクノロジーの進歩により、生きづらかった人たちにとって少しだけ生きやすい社会になったと思います。ただ一方で、このままテクノロジーが自動化という方向に進むのならば、私たちは少し慎重にならなければいけません。簡単、安全、使いやすいといったテクノロジーの世界に浸ってしまうと、危険を遠ざけたい、不安定な人とは関わりあいたくないという意識が、必ず芽生えてしまう。つまり生きづらかった人々が、再び行き場を失いかねない」

と書かれている。
テクノロジーが進化したことで、できなかったことができるようになった。
これは、明らかです。
身体に障害のある人にとっては、それは目に見えて進化しているといえます。
機能を代替する以上に健常者以上のこともできるようになったりします。
たとえば、車椅子マラソンで言えば、二足歩行のランナーよりも車椅子マラソンの方が短い時間で走りきります。
ですが、そういった便利な機器も、使う人間や支援する人間がどのような考え方でそれを利用するかということは十分考えなければならない。
中邑さんは

テクノロジーがいくら進歩しても、人の意識が変わらなくては、技術はまったく生かされないことになりかねない

とも述べている。
まったくその通り、人の意識が変わらなければ、上手に道具は使いこなせないまたは、大きな障壁になるとも感じます。
ところで、こんな事もかかれています。

愛だとか、根性とか、優しさとかは、何の問題解決ももたらさない。

これについては、少し違和感がある。
もちろん、根性論は私も好きではないが、愛や優しさというのは本当に何も解決しないのだろうか。
テクノロジーを利用する際に、私たちはどうしてそれを欲する人に使おうと考えるのか。
ある人は,それは

人権

を尊重するためだと言っていました。
私もそう思います。
ですが、そのように考えるためには、やはり愛とか優しさが必要な気がします。
もちろん、それだけでは何も解決しないが、それ無しにも解決しない気がします。
中邑さんの行動を突き動かしたものは

怒り

だと書かれていますが、それのよりどころとしての、人への信頼や仲間意識などが大切だとも思います。
ただ、どちらか二択の考えでははないように思いますが。

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