便利さの先にあるもの、失われた豊かさをどう取り戻すか

まずはこの動画を見て欲しい

JR東海 X'MAS EXPRESS CM 牧瀬里穂 1989年

この動画を見て懐かしいと思ったのはたぶん、40代以上でしょう。

これが作られたのが平成元年 いまから30年前です。

さて、この動画はこちらのnoteで紹介していました。

’89 牧瀬里穂のJR東海クリスマスエクスプレスのCMが良すぎて書き殴ってしまった|pato
ここにあった文章はすったもんだの末、 に移動しました

非常に興味深く、熱心に読んでしまいました。

noteではこんな事が書かれています。

これらは30年経った今だから「失われた」と思うわけだが、そこには「便利さによって失われた」という背景がある。つまり、便利さの象徴である新幹線もまた、これらの人の気持ちを失わせる可能性があったわけだ。

まだ自動改札でなかったり、電光掲示板でなかったり、東海道新幹線にも二階建て車両があったりと、技術的な相違点があるが、そういう点ではなくてもっとも重要な相違点がある。

「現代人は待ち合わせで焦らない」

そうです。

この当時なら待ち合わせといえば駅の伝言板に書くか事前に連絡をしてきっかりその時間に行かなければ遅れたことを知らせるすべもない。

携帯電話も誰もが持っていない時代で、お笑いで使われていた

シモシモ

のあの巨大なショルダーフォンの時代。

話が横道に逸れるが、私が初任で勤めた養護学校のスクールバスにはこのショルダーフォンがあった。

でも、このショルダーフォンはよっぽどのことが無い限り使わないようにと運転手さんにお願いしていたそうです。

料金がとても高いので。

何のために搭載されていたのだろうか。

さて、話を戻すと、この解説の続きとしてこんな事が書いてあります。

その切なさと儚さは現代人が失ってしまった感覚だろう。なんとか間に合うように一生懸命走る牧瀬里穂、それは我々現代人が失った相手を思いやるという根本的な気持ちの現われなのかもしれない。

不便であるけれども、それなりに豊かな気持ちを持っていた時代のように思います。

じゃあ、30年前に戻れというのか、といわれるとそうは思いません。

以前30年前の世の中をこちらで紹介しましたね。

DONTACと東海カンファの連チャンが終わりました。
DONTACと東海カンファの連チャンが終わりました。
(ATM56と佐藤仙務さんと・・・) 6月15日は福岡県にてDONTAC、6月16日は愛知県にて東海特別支援教育カンファレンス...

支援技術としてのICTを活用することで、意思が読み取れないと思われていた人が情報を発信することができるようになりましたし、病院内に入って外部とのコミュニケーションを取ることが難しかった子どもたちが、社会とつながるツールになってきた。

なので、私はICTの力は偉大だと思っています。

ですが、ただ単に礼賛してばかりでもいられない。

以前伊藤さんがポランの広場でこんな事を書いています。

重度障害者はエスパー? | ポランの広場|福祉情報工学と市民活動
サヴァン症候群とされるStefanさんのペン画けっしてオカルトの話をしようというのではありません。体の自由が奪われた重度身体障害者の中には,ずいぶん特別な能力を持っているな,と思うことが度々あるのです。たとえば,全盲の視覚障害者が,都内の電車を乗り継いで毎日出勤する姿は珍しいものではありませんが,晴眼者にとってはほとん...

これとは、ちょっと違うけど障害のある人たちというのは私たち、一時的な健常者と違って様々な制約を受けている。

すると、その制約の中で ”思索” している時間がある。

いまほとんどの人は、ちょっとした隙間の時間があればスマホを見ている。

物思いにふける,という時間も失われているかもしれません。

しかし、障害のある子どもたちはそんな気軽にスマホを見ることが出来ない人もいます。

なので、出来るようにしようという考えもあんだけど、私はそうではなくて、彼ら学ぶことが私たちにある気がするんです。

どうしても

できること

が素晴らしいと考えます。

でも、できないことに意味があったり、そこから学ぶことが大切なんじゃないかと。

再度書くけど、だから障害のある人は制約があっていいなんてけっして思いません。

彼らができることを増やす活動は続けたい。

だけど、私たちが何でもかんでも便利になることを望む前に、ふと立ち止まって不便さって何なのかなって考えることが大切だと思います。

冷蔵庫も電子レンジも無い、大学の借り上げている安アパートにいながら不便さって何だろうって考えました。

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