支えの信条

スクリーンショット 2016-07-27 4.12.55昨日はとても痛ましい事件が起こりました。
これは、事件を起こした人だけの問題ではなく、私たちが障害のある人の権利をどのように尊重するかということを考えなければならないと思います。
この事を考える中で、6年前に書いた記事を思い出しました。

残念ながら、当該ページは削除されてしまったようですが、Youtubeには動画が残っていました。

A Credo for Support (Japanese version)

このメッセージはとても重い言葉です。
英語版では障害のある方自身のメッセージもあります。

A Credo For Support (People 1st version)

今一度、このメッセージを考えてみたいと思います。
さて、もう1つネットで話題になっていたこんな記事があります。

回答者の答えがとても明確で、参考になります。
しかし、質問者のように私たちは、障害のある人と無い人、そんな簡単なことで2極化してしまいがちですが、本当にそうでしょうか?
誰の中にも困難さは併せ持っていると思いますし、時代によっては困難だった人も今は障害者となっていないこともあります。
有名なところでいうと、視覚障害。私の視力は0.1もありませんので、メガネのない原始時代であれば障害者と言われていたかもしれません。(それ以前に50も越えたものは高齢者扱いだったでしょう)ですが、今はメガネがあればほとんどの場面で困難な状況にはなりません。
置かれている環境によって、困難さは変わってきます。
まさに、ICFでいうところの環境因子です。
ICF.001今年の4月に施行された差別解消法でも、日本が批准した障害者権利条約でも、こういった環境因子による困難さを取り除くために、どのようにコミュニケーション環境を豊にしていくか、今一度考えたいと思っています。


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