ATAC2018より「ボーダーレス」になっていく世の中での「ボーダー」とは

ATACに来るたびに自分の有り様を見直させてもらいます。

そこには発見があったり、確認があったり出会いがあったり再開があったりいろいろなものを経験させてもらいます。

今回もそんなATACでしたが。

いろんな人にどうだったと聞かれますが、私が感じるATACは私だけの見方でしかありません。ですから、多少を金を払ってでも実際に参加して感じてもらいたいそんなことを思います。

そうはいっても来られない人もいるでしょう。

だとすれば、その人の所に行きます。

以前香川大学の坂井さんがコミュニケーションに障害があるのは誰ですか?

と聞いていたことがありました。

障害のある人は困難さがあるが、実はコミュニケーションに障害があるのは関わる周りの人たちではないかとおっしゃっていました。

彼らの表現を周りが受けとめ伝えやすく出来ないのだとすれば環境にこそ問題があるのではないか。

ですので、参加できる可能性があるのなら来て欲しいし、来られないなら私がその人の所に行ってお伝えしたい。

文字だけでは限界があるように思います。

さて、前置きが長くなりましたが、ATACで聞いた話から私が興味深く思ったことは

ボーダー

ということ。

インターネットの普及など世の中は急激にボーダーレスになってきています。

しかし、こと私たちの国においてはそのそれとは逆に高い壁を作っています。

近藤さんが話した差別解消法の話で面白かったのは、初等中等教育ではすでにそういった施策があったがために、新しい法律を作ろうとしたときそれが障壁になったが、高等教育ではこれまでなかったがために、新しい発想で施策が作れたという話。

これを聞いて思ったのは、いつもお世話になっている愛知県立みあい特別支援学校のこと。

この学校は比較的新しく作られた学校だったために、それまでの枠組みにとらわれない取組をいろいろとはじめられたこと。

枠組み(ボーダー)は時として、良く作用する場合もありますが、こと障害のある人の世界を広げるためには障壁になる。

そして、中邑さんが紹介してくれた野中君のこの動画

世界の中心はどこか 異才発掘プロジェクト

ROCKETプロジェクトでエストニアに行く話が出てきますが、この国は動画にもあるように何回も政権が入れ替わり、国を作り替えしてきた。

地理的な条件が大きいのですが、そのためにいまは電子政府が確立していてバスに乗るのさえ現金が使えない。

実際には、障害のある人のための福祉政策などはまだ十分ではないという話でしたが、自分たちで新しい方向性を作っていこうと考える事ができるのはとてもおもしろい。

これも動画にありますが、簡単に起業することが出来るそうです。

野中君の言葉でとても印象に残ったのは

「ベトナムのシステムは雇用を生むが、エストニアのシステムは企業を生む」

という言葉です。

ベトナムもエストニアもそれぞれ別の意味でボーダーレスだと感じますが、私たち日本にいては、気がつかないものを教えてもらいます。

そして強く思うのは、いまの自分の立ち位置でしかものを見ていないのでは、見える世界は固定的であるということ。

できるだけ外の世界を見にいって欲しい。

いまの当たり前が外に出ると当たり前でなくなる。

近藤さんが話した,超短期労働の話もそんなことを感じます。

http://ideap.tokyo/

さて、最後に中邑さんが、ではこれから何をすればいいのかというような問いかけがありました。

結局やっても同じことの繰り返しになるかもしれないということ。

エストニアのように戦争で政権が変わるというようなことはのぞみたくないですが、世の中を変えていくのはどうすればいいか。

自分の答えとしては、支援技術を普及させる事はもとより、それを理解していく若い人を育てることかなと考えます。

そして、それを支えるためには、いまの子どもたちにボーダーレスを意識して社会を考えていければ、障害であるとか障害でないとかいうことを超えられるようになるのではと思いました。

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