
(ぽっしゅんNo.5より)
以下の記事はAERAの発達障害と生きるという連載の第2回からの引用でyahooニュースに出ていました。
「彼らのユニークな生き様や個性を認め、そのよさを殺さないこと。もっと柔軟な教育の選択肢をつくって、彼らに適した学習の機会を与えていくこと。本来はそういうところからイノベーションが生まれるんじゃないかな。発達障害の子たちを『普通にしよう』という発想を捨てないと」
ここ最近の私の記事でもよく書かせてもらっているのは「選択肢を増やすこと」です。
前に書いたUDLでは
option
と表記しています。
これまでの教育では、「これが正しい」というものを「記憶」として覚えることがとても重要で、それを知っていればすぐに役に立つ時代でした。
しかし、現在のようなネット社会では「知っている」事はインターネットで調べることですぐに答えが出てしまいます。
先日、南米のある国の日本人学校に行っていた方が、15年ぶりに遊びに行ったとき、その当時との大きな違いに愕然としてそうです。
それは、それほど豊かでない国でもネットの回線は整備されていて、靴もまともに履けない人でもポケットからスマホを出してネットで情報を調べているそうです。
小学校の子どもたちも、携帯電話を持っていてそれで遊ばないように教員が指導をしているとのこと。
まったく日本と同じ状況です。
そういった中で、調べ物はインターネットで調べて宿題をやっているそうです。
実は、貧しい国なので図書館など既存のメディアは整備するのにとてもお金がかかる。
しかし、ネット回線はそれらよりもより安価に整備されてしまうし、情報入手はそれ一択になっているそうなのです。
日本は、逆に図書館や学校の施設設備などが充実しているので、どうしてもそちらを中心に考えてしまうが、選択肢が無い彼の国ではインターネットに頼らざるおえない。
ある意味、日本というのは豊かで選択の余地があっていいのかもしれません。
しかし、これからの時代を考えると、今の日本の状況というのは危ういかもしれません。
前述の「選択肢」という論理でいうと、日本は良い状況なのかもしれませんが、旧来の覚えて学ぶということに縛られてしまうと、選択肢を狭める危険性もある。
大切なのは柔軟に物事を見る目だと思います。