昨日のこれの続きです。
さて、肢体不自由の障害が重い子どもとのコミュニケーションを考えるとき、自分で手を出すこともなかなか難しいし、視線も明確で無い場合もあります。
そんなときに学校の教員はどうしているでしょうか?
学校というのは構造的にベテランの教員もいれば新人の教員もいます。
また、ベテランだとしても特別支援学校ははじめてという人もいます。
特別支援学校は長くいたけど対応したことがあるのは知的障害のある子どもの高等部だけという場合も。
そんなこと言っても専門家だから知らなきゃダメだろ、という声が聞こえてきそうですが現実にはなかなか難しい。
教科の指導は出来ても子どもとの基本的な接し方については一般的な教育心理学の理論では分からない事があります。
ですので、昨日の畠山さんが示してくれた3つの視点で子どもを理解していくことが求められる。
また、上記の図を提示してくれた高松養護学校の皆さんが関わった「黙って見てているコミュニケーション」などから学ぶことは多いと思います。
さて、選択活動を考える際に多くは2択からとなりますが、そういった障害の重い子どもの場合はそれ以前の
選ぶか選ばないか
ということからはじまると思います。
そんなこと言っても分からないよ、という人もいますが本当にそうでしょうか?
私たち健常者といわれる人でも日々沢山の決定をしています。
夕食を食べるのでもご飯から食べるのか、お味噌汁から食べるのか、交互に食べるのか、そんなことを無意識に「選択」して「決定」しています。
シーナ・アイエンガーという人が書いた「選択の科学(原題:The Art of Choosing)」という本では「選択権を持つことは生き物の基本的欲求である」として、さまざまな事象の中で選択をすることについて考察していますが、実は多くの場合に意識されないで選択活動をしています。
それは、障害の重い子どもの場合に同じで私たちが意識していない選択をしている。例えばこんな事はないだろうか?
この子は教室に来るといつも寝ちゃうんだよね
とか
ご飯は上手に食べられるのに牛乳の飲み込みが悪い
とか
こういったものを私たちは、生理的な行動として判断しているかもしれませんが、実は教室の照明が眩しくて目を閉じているのかもしれませんし、牛乳の味が嫌いで飲まないのかもしれません。
日々のさまざまな動きのなかな(動かない事も含め)でさまざまな選択をしている可能性があります。
また、それらが表情で現れることは多いですが、表情筋が何らかの障害で上手く動かせない子どももいます。
ですので、単に「喜んでいる」「喜んでいない」ということだけで判断することはとても危険です。
まずはそういったとを抑えた上で2択に向かっていくことになるでしょう。
そして、そういった表現を確認するこちら側も気をつけないと沢山の情報を子どもに送って混乱させてしまっているかもしれません。
上記の谷口さんの絵でも
先生の接近や、表情の変化
何かが揺れている・・・一度に届くいろいろな情報の中から
問いかけをピックアップして
「笑顔」を見せたとは限らない
ということも考える必要があります。

コメント
フェイスブックにてシェアさせていただけませんでしょうか。
まったく問題ありませんよ、よろしくお願いします。
ご承認ありがとうございます。同よろしくお願いいたします。