
(ドロップスより)
こちらのサイトから
藤原さとさんという方が書かれた記事です。
米国の事情を分かりやすく書かれていますが,この中でキーだと思うことをいくつか
少し長い引用ですが
みなさんも、自宅ではエンターテイメントやリラックスする時に主にタブレットを使い、仕事や複雑なことをするときにはPCを使いませんか?現状、タブレットでは長文の文章作成や、プレゼン資料作成、エクセルを使ったデータ処理や作図、またプログラミングのようなものはまだまだスムーズにできません。
もちろんアメリカでも協働学習にタブレットを取り入れてはいますが、しっかりリサーチ、分析をして、発表資料を作るときにはPCを使うのです。※※
子どもたちは、ゲーミフィケーションの入ったアプリや、タブレットでの簡単な操作は楽しむでしょう。でも、闇雲に設備投資のような目に見える部分を整えようとしたり、キャッチーなものに飛びつくのではなく、実際の「学び」の部分に注目していかないと、教育の質的変化がないのに、ハードウエアだけ入り、教員の方の負担だけ増えてしまった、、ということにもなりかねないように思います
障害のある子どもたちにとっては,それを使って学習や生活の支援をするということがあるので,タブレットの使い方としてはここで話されているのとは,ちょっと違う面がありますが,一般的な情報リテラシーとしてICT機器を使うということを考える場合には,ここで書かれていることはとても重要な指摘をしています。
特に
一方で、社会では溢れるような情報の中から、出来るだけ信頼できる情報を探し出し、その情報を自分なりに編集して意味合いのあるものに整理する力が必須になっています。
という指摘は重要です。
学校でそんなにやらなくてもという議論があったりしますが,世の中は待ってくれません。どんどん情報化されています。奏したときに,
正しい情報はどれか
ということを見つける力は、早い段階から求められると思っています。
先日ラジオを聞いていたら,イギリスの子どもがネットの検索の上位に来る情報は信用しているというような話をしていました。たぶん日本よりも,情報リテラシーは進んでいると思うイギリスでもそんな状態だとすると,日本ももっと危ういかもしれません。
また
つまり、足りていないのは、設備投資ではなくて、先生自身がネット上に溢れる情報に対し、リテラシーを持って適切に編集し、子供たちへの授業に意義のある活用ができる文化と能力を持つこと、またそれをサポートするマネジメント体制ではないでしょうか。
ということも書かれています。
また
やはり、先生は子どもたちのお手本となる限りは、最低限のITリテラシーが必要です。このリテラシーが無いと、一見操作性が良いように見えて、実は使いにくいものを導入してしまったり、時間や手間ばかりかかって、子どもの学びにつながらないようなITの使い方をしてしまう危険性もあります。
という指摘もされています。
教員の皆さんがんばって欲しい。
でも,教員だけががんばっていてもむずかしいという指摘もされています。
寧ろ、先に考えるべきは、ITを支える土台部分でしょうか。
として,教員を支える人の必要性についても触れています。
文科省のいうところの
ICT支援員
ですね。でも,それも正規の職員ということでなくても非常勤だとしてもいいので支えて欲しいと書かれています。
本当にそうですね。ICTの調査をしても本当にそういった人の配備は少ない。
物よりも人の支援がある方がより進むような気がします。
最後にこんな事もかかれていました。
また、面白いのは、こちらは州の公立でオンラインスクールが運営されていて、小学校3年生からオンラインスクールで義務教育を受けたことにすることができます。もちろん無料です。教育区(Independent School District)レベルでバーチャルスクールを持っているケースもあります。なので、何らかの理由(病気、クラスメートとの関係の悪化、校内の環境悪化、スポーツや芸能活動、事業活動、単純に学校に合わない等)で、学校に行くことがベストの選択でない場合は学期単位でホームスクーリングに切り替えることが可能です。
所謂,通信教育ですね。
アメリカの場合には国土が広いので,ネットでの教育というのが進んでいるのもありますし,家庭教育も教育として認められているというのも後押ししますが,この中で病気の子どもでもそれを教育として利用できているというのが気になります。
単位の認定方式や評価の仕組みなどいろいろとあるのでしょうけど,病気の子どもだけでなくてさまざまな理由で学校に行けない子どもたちを支援する仕組みとしてネットが使われているということが分かります。
どちらにせよ,とても興味深い記事なので,ぜひ一読していただければと思います。