仕事柄,海外へ何回か出張に出ます。
もともと語学については関心がなかったこともありますし,どういったわけか苦手意識があったので英語を勉強することに対して苦手意識が強くありました。
そんなこんなで,アメリカに行っても十分な会話が出来ず,苦手意識が根底にあるので積極的に話も出来ない場面が多くありました。
そういう状態の自分を振り返るとコミュニケーションに障害のある子どもたちの気持ちをとても理解できます。
伝えたいことがあってもどの言葉を使えばいいのか分からず,どのように表現すれば伝わるのか分からないので,思いがあっても伝えられない不自由さを感じます。
ですので,特別支援教育に携わる先生方は皆さん海外に行って(特に英語圏以外の国に行って)自分自身のコミュいけ-ションコミュニケーション障害の経験を捨てしてもらうと子どもの教育に役立つのではと思っています。
しかし,それとは別の言語の問題と発達障害の子どもたちや知的障害,肢体不自由の子どもたちのコミュニケーションへの不自由さは違った側面があるのではとも思います。
それは,私の場合は「日本語」というよって立つ言語体系があり,それを利用して自分の思考を整理し,考えをまとめられるからです。ですので,たとえ英語が話せなくても「伝えられない」という自分の思いは整理できます。
しかし,発達障害や知的障害の子どもたちはその時分自分の思考を整理するための言語そのものに大きなハンディを感じているはずなので,課題は簡単ではありません。
ですので,先生方がどうやって子どもたちの思考を整理するための環境整備をするか,が大切です。
そのためにもシンボルであったりVOCAであったり,iPadを含めるPCであったり,彼れの思考を整理するための道具を用意してもらえればと思います。
「道具に頼っては」とよく言いますが,「言語」は人類最大の「道具」だと思っています。つまり,それらが便利に仕えられればどれを使おうとも良いのではと思います。
そのためにも様々な条件整備と様々な事例の蓄積が大切になっていくのではと思っています。
ps.恥ずかしい,文字の書き間違いがあったので訂正しました。(2012/05/11追記)
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伝わらない英語を使っていて思うのは,「すべてが通じなくてもいい」という開き直りかなと思っています。
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