
最近、配慮の必要な生徒がいる中学校で十分な支援がされない、または場合によってはトンデモな指導があるという話をお聞きすることがあります。
あまり具体的なことは書けませんが、なぜそういうことがおこるのでしょうか?
ロケット開発をしている植松努さんのブログがお気に入りでいつも読んでいるのですが、昨日はこんな記事がありました。
この中で植松さんが
僕の目から見て、小学校はすごくがんばってると思います。
高校もすごく頑張ってると思います。
しかし、中学校だけが、軍隊的教育をいまだに行っているような学校が、
とてもよく目につくのです。(もちろん、そういう高校もあるよ)
子ども達に、理不尽を受け入れあきらめさせる教育。
思考力を奪い、素直とまじめと勤勉をたたき込む教育。
言われたことを、言われたとおりにやればいいんだ!という教育。
そんなこと、文科省がそうしろって指導してんのかな?
そんな教育では、人口が増えていて、ロボットが居なかった時代にしか
通用しない人材しかつくれないのに。すばらしい小学生を、そのまま大人にしてあげて欲しい。(植松努のブログ)
まったく同感です。
特別支援教育についても、小学校で理解のある学校が広がっていったように思います。
また、高等学校も通級が始まりましたし、比較的柔軟。
その根本のところに、
思春期
と
高校受験
があるように思えます。
思春期というのはとかく反抗しがち。
意味がある、意味がないにかかわらず否定することからはじまる。
彼らのそういった大人を試すような、否定するような行動を生活指導という言葉だけで押さえつけようとしても上手くいかないはず。
その上、体力的にもほぼ大人と同じ力を付けてくるので、より高圧的になりがち。
もう一つの要因に、受験指導がある。
そうすると、そのゴールに向けて限られた時間の中でどうやって型にはめるかを考えていきます。
植松さんのブログにはこうも書いています。
中学生は、心も体も急激に成長します。
ものすごく考えるから、大人のいいかげんで適当な発言に対して、
食いついてくることもあります。
(中学生が対象となっているアニメの内容の難しさや、心理描写のすばらしさとか、
わかっていない大人がすくなくないです。)
本当は、そういうときは、相手を人間として尊重し、真剣に話し合うべきなのに、
中学生よりも思考力のない大人は、ムキになって押さえつけようとします。
なめられないように、と恫喝し威圧することもあります。
しかし、子ども達は、大人の、首尾一貫しないあやふやな発言や、
自分自身で決断できず、責任を避けようとする大人を「なめてる」だけです。
それは、恫喝や高圧で、回復できるものではありません。
よけいに「なめられる」だけなのに。すばらしい小学生を、そのまま大人にしてあげて欲しい。(植松努のブログ)
本当にそう思います。
自分の子育てについて考えても、反抗期の子どもに
こうだから
とか
こうあるべきだから
というような論理で話をしても、まったく聞き入れてくれませんでした。
それはある意味、彼らを一段下に見ているからだと思います。
後で考えるととても反省させられました。
一人の人間として認める、なんて言葉がよく言われますが、実際にはそういう態度をしっかり取ることは難しい。
自分の中でその考えが腹落ちしないとそういった態度はとれないんです。
でも、この植松さんの
せっかく、すばらしく育っている小学生を、だいなしにしないでよ。
(中略)
そのためにも、大人は、真剣に、自身の思考能力を高める努力をし、
子ども達を、人間として尊重して話し合うべきです。子どもに言い負かされたからって怒るなんて、子ども以下だぜ。
ていうか、言い負かされるな。すばらしい小学生を、そのまま大人にしてあげて欲しい。(植松努のブログ)
という言葉には、彼らを尊敬し、一人の人間として認めていることがよく分かります。
植松さんのブログの別の記事にこんなものがありました。
雇うなら小学生
ううむと唸ります。
つまり、そういった豊かな発想を持っている彼らのその能力を力で押さえつけ、並の人間にすること目指さないでほしい。
最後になりますが、植松さんのTEDでの講演をご紹介します。20分ほどです。
この動画の最後の
だったらこうしてみたら
をすべての人に送ります。