大学を卒業して教員になって30年が経ちました。
学校の教員は22年間。
今の職場に移って8年です。
学校の教員時代は肢体不自由養護学校だったので残念ながらたくさんの児童生徒を見送ることとなりました。
それはどれもとても悲しい事でした。
そんな中でもいま生きている力を燃やして輝いている生徒にたくさん会えたことが自分の今を作っていると思います。
そんな1人の島幸恵さんの訃報が先日はいりました。
彼女は当時私の勤めていた光明養護学校の隣にある梅ヶ丘中学からの進学でした。
今は特別支援学校がセンター的機能として地域の学校を支援する役割を担っていますが,当時は特別支援教育制度の検討が始まった頃でそんなことも国の方では話題になっていましたが,現場のレベルではまったくかんがえられていない時。中学校にそんな生徒がいるということも分からない時代です。
中学の時にはまだ歩けていたのですが,進行性の障害から進学もむずかしく,突然のように養護学校への進学となったようです。
養護学校では2年間担任をさせてもらったのですが,その間にパソコンとコンピュータグラフィックに興味を持ち,どんどんとステキな作品を作ってくれました。
当時の光明養護学校の様子を紹介したWebサイトがまだ残っていました。
キッス・ウェブ・ジャパン「光明養護学校」
今から13年も前の情報ですので,今と違うこともありますし,今でも同じ部分もあるでしょう。
光明養護学校も今では「光明特別支援学校」になりましたし,学校の大幅な改築も始まっていると聞いています。
卒業後は大学に進学しました。特別支援教育(当時は特殊教育)には3年間しかいなかったのですが,光明養護での3年間でたくさんの人と知り合ったことで,その後にいろいろな活躍をしました。
大学1年の時には福井県丸岡町の一筆啓上というので表彰を受け,授賞式に行かれたこともありました。
車いすの女子大生出席 福井、新一筆啓上賞授賞式
2年生の時にはATACが「こころ大賞」というのを作ったので,推薦したところ受賞となりました。
難病と闘う大学生と恩師が「こころ大賞」奨励賞
高等部在学時代から国体には何回も選手として出場していました。
大学の時には国体で受賞した事が記事になっています。
秋田わか杉大会(国体) 島 幸恵さん(芸術学科4年)2つの金メダル!
また,東京の肢体不自由養護学校で独自で作ったハンドサッカーの競技にも熱心に参加し,協議を紹介する絵も彼女が作っています。

3年前の東京国体ではオープン競技として実施されたのですが,その実施に力を尽くしていたのも彼女です。
ハンドサッカー
また,在学時代から描いていた絵の方では,私のいくつかの書籍の挿絵も描いてもらいました。
障がいの重い子の「わかる」「できる」みんなで「楽しめる」 アイデア&ヒント 123
特別支援教育におけるコミュニケーション支援
最近では,肢体不自由児協会の美術展で東京都知事賞を受賞しました。
肢体不自由児・者の美術展・デジタル写真展
まさにこれから,特に2020年のパラリンピックに向けての委員もすることになり,彼女の活躍をまた見られると思っていたときの悲報はとても残念でなりません。
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