湯浅誠が見た先端研「「異才発掘プロジェクト」が目指す「ふつう」の世の中」


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ふつう

てなんでしょうか?

とても哲学的な課題ですね。
そこには、基準が存在するような気がします。
ですが、それを規定したとたんに、はみ出る人たちがいる。
だとすると、あまり明らかにしない方がいいようにもおいます。

幸いなこととに、私が「小学生」だったのは、今から50年近く前。
その頃にも、障害のある子どもたちもいましたし、自分の学級にはサリドマイドで片手が、ほとんどない同級生もいました。
もちろん、いじめもあったように思います。
ですが、違うということについて、今ほど厳しくいわれていなかったように思います。
今は、特別支援教育も進んでいますし、個々の違いを尊重されてきている場面も見ます。
ですが、逆に、これまでならあまり明確にしなくても抱擁する社会があったようにも思います。
なので、昔に戻った方がいいとは決して思いません。
ですが、人と人とのコミュニケーションということでいえば、私の子供頃の方がより多かったように思います。
東大先端研の中邑さんが「AAC入門」で相手の意志を正しく読み取るには2つの技術が必要だと書いています。
1つは、テクニックで2つめはテクノロジーだと
昔の時代は2番目のテクノロジーが未熟だったので、苦労していたと思います。
しかし、それを補う、1番目のテクニックが発達したように思います。だからといってテクノロジーがいらないということではありませんが、テクノロジーだけではだめなのでしょう。
さて、本題。
表記の話題はこちらのサイトに載っていました。

私の考える「ふつう」は抱擁する社会だと思っています。
個々に違う私たち、それは障害が有る無しでもなく、国籍に違いが有る無しでもなく、性別やその他の各個人が様々なものを持っているでもなく、多様性を認めること。
多方向性を認めること、だと思っています。
ICTやATは、それを生かすために使えるツールになるからこそ、使ってもらいたい。
前原小学校の松田さんはICTを活用したことで、人間の力は1万倍も、1億倍も広がっているといっていました。
これまでにはできなかったことができるようになったとき、私たちは何をすればいいのか。そんなことは大きな課題ですが、現実そうなっている社会にるのだとすれば、そういった社会に背を向けないで、うまく使いこなし、子どもたちが困っているのなら、使いこなす方向で考えたいと思います。
最後に同じ先端研の近藤さんの動画を紹介します。

学習に困難のある子どもとICT 21世紀の教室 東京大学近藤先生お話.wmv

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