「学校」という形に拘らないことによって見えてくること


ドロップスで「学校」と検索するとこれができていました。
さて、横浜の小学校でのいじめ事件を語るまでもなく、学校という場所が閉塞的だといわれています。
自分も学校に勤めていましたし、今の仕事は学校という組織とのつながり無しには成り立ちません。
そして、自分もそうですし、多くの人が「学校」での沢山の生活を過ごし、その中で良い悪いは別にして学んできたのは事実です。
ここで、紹介している人たちも、そういった意味では学校で学んできたはずです。
しかし、その学校が抱える弊害も、見つけていかないことには変わらないと感じます。
1つめの記事はこれ

内藤 朝雄さんという方が書かれた記事です。
ここには、日本型の「社会と隔絶した」学校文化の課題について、書かれています。
学校の独特な思考は「学校らしさ」「生徒らしさ」という世間とはちょっとずれた感覚が、学校の中に多く存在することを指摘しています。
学校という組織はマイナーではなく、誰もが「義務教育」という名の下に、経験するのですから特別なものではない。
ですが、いつの間にか特別なことが許される雰囲気が学校にはある。
そうしたときに、それにそぐわない、または外れてしまった子どもたちが困難な状況になる。
前記の記事は、いじめですが、以下の記事で問題になるのはまた別のケース。
SHIFT│第15回 ニューロダイバーシティ教育が、未来のイノベーションを生みだす -突出した個人の将来を追求する人間支援工学者の挑戦-│ベネッセ教育総合研究所
健常者という枠に入りきらない子どもたちが未来に希望を見出せる学びの場づくりに奔走する、東京大学先端研の中邑賢龍教授の展開するROCKETプロジェクトに林信行が密着。
いつもお世話になっている、先端研の中邑さんのインタビュー記事。
ベネッセのサイトです。
中邑さんは新しい言葉で「アカデミックディズニーランド」といっていたようですが、これが「学校」という形になったとたんに、子どもたちが息苦しくなってしまうからということでしょう、
でも、
そうはいっても
と言う疑問がいつもおこる。
現在の学校はすでに動いていて、子どもたちも通っている。
ロケットプロジェクトもとてもすてきだし、DO-ITに参加したら、伸びるだろうなと言う子どもたちも沢山いる。
しかし、参加する子どもは限られている。
だとすると、今の学校をどうすればいいか。
そこがとても重要。
ある人は、学校なんか無くなってしまえばいいということを言われた。
そうかもしれませんが、そう簡単ではない。
そのためには
「気づき」
がとても重要なのかな、と思っています。
今ある型がすべてではない。
今ある「学校」がすべてではない。
違った形の「学び」を、違った形の「学校」があることを、多くの教育関係者が知ることができれば、少しずつかもしれませんが、変わっていくと思っています。
沢山の人が
「おかしいな」
と気づくことで、少しずつでも「学校」は変わっていくのではと思っています。
そのためには、いろいろなものにアンテナを張り、情報を取捨選択すること。
入ってくる情報をそのまま受け止めるのではなく、自分なりの判断をする。
すべて受け入れるのでもなく、すべて否定するのでもなく。
そのためには、沢山の人に会うことがとても大切。
学校の教員は、ともすれば同じ業界内の人とのつきあいが多くなりがち。
そうではなく、学校関係でない人と会うことによって多くの学びを持ち、視野も広げられるのではと思っています。

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