納得の過程を考える。ポジティブな事は主観的に、ネガティブなことは客観的に


日々暮らしているといろいろな事がおこります。
良い事は当然嬉しいですが、必ずしも良い事ばかりではありません。
悪い事、自分にとって不都合な事、困った事をされた事など。
いろいろとあるんですが、最近思うのは

ポジティブな事は主観的に、ネガティブなことは客観的に

捉えようかなと
だいたいにおいていやな事があると、かっとなってしまい感情的になります。

なんてひどい事を

と、その人を責めたりします。
ですが、人が何かをアクションをおこす時にはそれなりの理由があります。
それが、私にとって納得のいく事とはいえないかもしれません。
ですが、実はそれを発する人にはそれを起こす理由があるはずです。
そう考えると、自分にとって不都合だと思う事もどうしてそれが起こったのか、考えてみる事が必要なのでは。
そのときに、主観的に捉えてしまうと、自分にとってメリットがあるのか、デメリットなのかという事になる。
でも、客観的にメタ認知していくともう少し、落ち着いて考えられるかも、と思いました。
もちろん、そんなに割り切れるもんじゃなくって、感情が高ぶったりしているんですが
それでも、あえて客観的に見ようと考えるだけで少し見方が変えられます。
逆に、良い事は自分の事として素直に喜んでいけるといいかなと思いました。
そんなこんなを考えていたら、こんなブログを見つけました。

アスリートの為末大さんのブログです。
ここでは、引用として先端研の中邑賢龍さんの話として、車いすの肘掛の話が出ています。
体に合っていないからと、何回も高さ調整をしいろいろと試行錯誤をするが、最後に納得した高さは最初に提示されたものだった。
こういうのってけっこう良くあるなと思い出しました。
以前、特別支援学校に勤めたときに担当する高等部の生徒の一人通学の指導をした事があります。
学校からの距離はそれほどではなかったのですが、電車やバスの乗り換えがけっこうあって、
本人が最初に決めたコースはけっこう時間もかかるし、あまり良いコースだとは思えない。
ですが、私はそれについては特段否定はせず、

ではこれで帰ってみよう

と話して、そのコースで帰宅しました。
翌日彼から、違うコースを提示されました。
それはもう少し良くなったのですが、まだ改良の余地がある。
こんなことを繰り返し、最終的には私が思っていたコースで帰る事になりました。
ですが、だからといって私が最初に

これが一番便利だ

と提示しても彼はそれで納得いったかなと思うとそんな気はしません。
自分の考えを出し、それを試してから試行錯誤をする。
そのプロセスの中で、納得感が得られたのではと思いました。
最初の話に戻ります。
ネガティブなことを聞いたときにも、それをそのまますぐに否定したり、相手を攻撃するのではなく
何でそんな事を考えたのかな、と思いを巡らす事の中で自分自身の納得感を得ようとしているのかな、と思いました。

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コメント

  1. ナマハゲ@アキタ より:

    素敵な言葉、ありがとうございます。
    GW明けの明日から頑張る力を頂きました。
    納得感、主観、客観どれも大切なキーワードですね。
    新年度も視線入力を続けています。
    今年は学習に活用がテーマです。