先日、魔法のダイアリーの成果報告書が公開されました。
とても、参考になる様々な事例が掲載されていますので、特別支援教育に関わるすべての人に見てもらいたいです。
さて、この巻頭言の中邑賢龍さんの「テクノロジーの乱用」という小論は短いですが、とても考えさせられます。
ある人はこれを見て
テクノロジーが神の(見えざる)手にならないよう。
と書いていました。
そう、それを見て思いだしたのはこのエントリー。
2016年に書いたものです。
冒頭の絵は高松養護学校の谷口さんのブログから拝借したもの。
谷口さんは学校現場がよく分かって、絵が描ける、そして何よりコミュニケーションについて真摯に向き合うことができる貴重な人です。
彼のこの絵をいろいろなところに紹介する時に伝えるのは
コックリさん
や
ゴッドハンド
にならないでね。ということ。
知的な障害も併せ有する重度の肢体不自由の子どものコミュニケーションを支援しようとすると、とかくやってしまいがちなのは、彼らの意思を誘導してしまうこと。
視線入力装置で有名になったEYEMOTはある意味、そうした使い方をしてしまう危険性がある。
そうならないためにはどうすればいいのか?
中邑さんは
上記の小論で
何をしたいかといった意思の表出にはそれまでの様々な自己決定の経験や認知発達が必要である。テクノロジーの意図的操作は、運動能力以外にも様々な力が育ってなければ難しい。 専門家であるがゆえに我々は子どもの能力を冷静に総合的に見つめる必要がある。
と書いています。
学校現場をお伺いしたときにいうのは、若い教員とベテランの教員がペアーになって仕事をしてねということ。
それは、若い教員はICTについては抵抗感がなく、すぐに使い始められるけど、経験値も低いし、知識も少ない。
逆にベテランの教員は様々な事例を知っているし、子どもの力を読み取る力も高いが、ICTを使うのが苦手な人が多い。
そんな対極にある人たちがコラボすればとても良い実践になる。
(逆に、若い人が暴走して、ベテランが拒否すると残念な結果になるけど)
ですので、何回も書いていることだけど、機器ありきでは始まらない。
ぜひ、沢山の人と連携してください。
自分ですべてができるなんて思い込みは幻想だと思います。