タブレット(iPad)導入は第2フェーズに入ってきた その2「目的を明確にする事」

タブレット(iPad)導入は第2フェーズに入ってきた
「目的を明確にする事」
と、書いたところ、具体的でないとおしかりをいただきましたので書かせてもらいます。
ただし、ここの部分は、あまり書きたくないという気持ちもあります。
というのも、これこそが先生方が子どもを見ながら考えてもらいたいと思うからです。
私が,これが大切だ
と書くと、すぐにそれを真似て何も考えないことが怖いからです。
なので、ここの部分はあくまで
「金森の私見」
と、受け取ってもらい「自分の脳みそ」で考えてください。
私が考える大切なことは3つ

●社会参加と自立
●コミュニケーション
●学びの楽しさを知ること

だと思っています。
1つずつ、説明しましょう
1つ目の社会参加と自立は言わずもがなですね。
どんなに障害が重くても、たとえいまは障害がなかったとしても誰もが求められる要素です。
自立というと重度の子どもにはむり、という言葉が聞こえそうですが、自立というのはその人なりのレベルがあるわけでゼロイチでできるできないとはいえません。
同様に社会参加についてもいろいろな形の社会参加があるので障害の軽重は関係ないと思います。
ただし、だからといって重度の子どもさんが飛行機のパイロットになりたいからといって簡単になれるものではないし、それこそ合理的な配慮が関係してきます。
さて、ではどんなことができるの、という話ですが、iPadではありませんが,よくあるのは調理場面で肢体不自由の子どもは先生の演じている作業を見るだけだったりします。
また,そうでないにしても先生が手を持って、やっているふりをさせるだけだったりします。
(私はそれを「こっくりさん」とか「ゴッドハンド」とか言ったりします。)
しかし、参加することが大切であると考えるのであれば、どのような方法で参加できるかを考えるわけで,そのためのスイッチを用意し、ミキサーを操作できるようにして,その子なりの参加方法が生まれてきます。
次に、コミュニケーション
これが実は一番大切。
大人は特に本人の意志を引き出すための環境設定をするべきだと思っています。
まず、それが大前提。
その上で中身の指導をするべきなのに、本人の努力を最初に求めようとする。
障害があるからこそ、大変なのにそれを何の支援もせずに本人の努力で克服させようとすれば、追いつくのに必死で中身の話まで到達しない。
コミュニケーションの学習も大切ですが、その前のコミュニケーション支援をしなければ始まらないと思っています。
具体的には自閉症のお子さんに対して,言葉だけでの指示を出したり、彼らの言葉をそのまま受け取って指導するって、どうなのと思います。
視覚的な情報の方が優位な彼らに筆談でのコミュニケーションができればより分かりやすくなりますし、鉛筆を持つことが難しければiPadのトーキングエイドやドロップトークなどが考えられるはずです。
さて、最後の3つ目
学校の先生はとかく教え込みたがりますが。教えることの究極の目的は<学ぶ楽しさを知ること>だと思っています。
学校の時期なんて高校まででたかが12年。大学を出たって16年です。
それだけ学べば終わりなんじゃんじゃなく、それ以降の社会にでてから学ぶことの方がおおい。
そして、社会にでてから学ぼうとする人の方が仕事もできるし、豊かな生き方ができると思っています。
そのためには、学校の時期にいかに
「学ぶのは楽しい」
と思わせるか、それが大切。
そして、学びの質は人によって違う。
字を書く練習ばかりが楽しい子どももいるかもしれませんが、それをすごく苦痛に思う子どもがいることも知ってほしい。
紙の教科書では困難でも,教科書のデータがiPadの中にあって、それで内容をよみあげて中身がわかる子どもがいたら彼にとっては,iPadの方が学びやすい。
中邑賢龍さんが言った基礎的学力の部分をiPadなどが補い,本当に学びたい,学ぶと楽しいことに力を使わせてあげたいと思います。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加