こちらより
タブレットの本質は、“おもちゃ”である
なるほどと,納得する話ですね。
その中でもポイントはこちら
子どもは不器用ですから、ファブレットは小さくて自在に操作できない、
パソコンはキーボードの字が読めなくては操作できない……
この点、タブレットはサイズ感といい、
ユーザビリティといい、絶妙なんですよね。
老若男女が取扱説明書など全く読むことなしに、楽しむことができます。
仕事用のアプリを使っていても、
どこかしらゲームをやっているような感覚を抱くことが少なくないのも、
おもちゃ的な側面といっていいでしょう。
「あそべる」ことは,新しいものをはじめるにあたって敷居を大きく下げるものだと思います。
「遊ぶ」と書くと語弊があるようなら
「楽しめる」ということでしょうね。
なんにしても楽しくなければはじめられない。
筆者は1,2歳の子どもでも使い始める例を書かれていますが,
知的障害のある子どもたちでもけっこう使いこなしている現場をよく見ます。
こういった機器が普及する本質でしょうね。
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ですが,実はここから超えるのがとてもむずかしい。
つまり,本当の意味で本人の支援機器として利用できること。
教材として知的な道具となること。
そこに到達するには関わる人たちがよく分かっていないといけません。
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